包丁人味平に登場する不思議な屋台のラーメン屋
関東の人も関西の人も美味しいというラーメン
包丁人味平のカレー戦争編に登場する不思議な屋台のラーメン屋の話です。
このころ味平は、年齢、出身、老若男女を問わず、誰が食べてもちょうど良い辛さのカレーを模索していました。
そこで知ったのが、関東と関西どころか北海道から九州沖縄まで。
味の好みの全く違う人たち相手全員に「美味しい!」と言わせる不思議な屋台のラーメン屋の存在。
東京出身の味平がちょうど良いと思う味の濃さのラーメンを、関西弁をしゃべる男も美味しいと言う。
いや、そんな驚かなくてもw
うどんや蕎麦ならまだしも、ラーメンだと関東関西で味付けにそんなに違いはないような……
いや、そこは突っ込んではいけない💦
そして謎を解くために味平はこの屋台に通い詰めることになった。
秘密の技、味割り
この不思議なラーメン屋の秘密は 味割りと呼ばれる技 でした(技なのか?)
お客さんの言葉のアクセントなどから出身地、さらには年齢などを考慮し、好みの味付けのラーメンを出すというもの。
すげえええええええーーーーー
ところでこんなこと本当に可能なのか?
客の好みで味を変えるラーメン屋
八重洲北口周辺で22時頃から営業。
「お客の世代と出身地に合わせて、麺の硬さとスープの濃さを調整してるよ。どうやって判断するかだって?44年間お客を見てきたんだ。注文の声聞きゃ出身までわかるよ」(丹羽さん)
44年間、屋台でラーメンを作り続けた昭和の頑固オヤジ「最近はすぐ通報される」
八重洲北口方面の薄暗い路地に入ると、いかにも“昭和の頑固オヤジ”といったふうの店主が
リヤカーを引いている。店主の丹羽英明さん(仮名・70歳)だ。
44年間、これまで川崎、上野、柏、八重洲と渡り歩いてきた。屋号はない。
「高校卒業後、18歳で工事の現場監督を任されて天狗になっちまったんだろうね。
飲み屋で大暴れして店からは出禁、仕事もクビさ」
スポーツ新聞の産業広告欄の「屋台ラーメンの引き手」に応募。
見習い修業の後、4日目からは一人で屋台を引き始めたという。
「当時、ラーメンはちょっとしたごちそう。
それで子供の誕生日に玄関先に屋台をつけてチャルメラを吹いたら、もう大好評。
それから10年。そりゃあ自信もつくから自分の腕を試したくなるでしょ」
可能だったw
ところで上の記事の屋台のおっさんが「44年前からやってる」ということは1977年ごろからということか。
包丁人味平のこの話は1975年(昭和50年)ですから漫画の方が少し先ですね。
この人きっと包丁人味平のファンだったんですね。
漫画のネタをパクり……あ、いや参考にして見事に実現化した!
いやいや、これはすなおに感動です。
1回この屋台のラーメン食べに行きたかったなあ。
それでは今日はこの辺で。マタンキ