思い出話・雑談

【ブルース・リー生誕80年】映画・燃えよドラゴンを見てきた

映画 燃えよドラゴン

昭和の子どもたちが全員真似したヒーロー

ども、MK団2代目団長マタンキ角南です。

ブルース・リーが生誕80年(2020年)と言うことで、今あの燃えよドラゴンが日本全国の映画館でリバイバル上映されています。

ブルース・リー燃えよドラゴンといえば今から47年前に大ブームを起こした映画です。

子どもの頃はブルース・リーじゃなく、ブルー・スリーだと思ってましたw

当時の小学生でブルースリーの真似したことがない子どもはいませんでした。

男子なら全員が「アチョー」って言いながらおもちゃのヌンチャク(新聞紙を筒状に丸めて作ったりしていた)で遊んでました。

なので我々の年代でブルース・リー=燃えよドラゴンを知らない人は1人もいないと思います。

実は昭和の子どもたちは映画“燃えよドラゴン”を見ていない

ところで今50代で燃えよドラゴンを見た人、どれぐらいいるのかな?

で、団長の周りに人(全員50代)に聞いたんですが、実は誰1人として見たことがないという調査結果が出ました。

えーーーーーーーーあんなに大ブームになったのに?

あんなにモノマネしてたのに?

それなのに誰1人燃えよドラゴンを見たことがないって……

なんでやねん?

なんて偉そうに書いたけど、実は私も燃えよドラゴン見ていません!

映画が流行ったのは団長が小学4年生の時だったので小学生だけで映画を見に行くということは難しかったこと。

じゃあ親と一緒にってことになるけど、こんなカンフー映画を子どもに見せてくれる親はなかなかいなかったことが理由だと思います。

なので50代で燃えよドラゴンを本当に見た人ってあまりいないんです。

見たとしても後年にビデオソフト化されてから。

もう少し上の60代ぐらいの人なら映画館で見てたんでしょうけど。

総合格闘技の祖ブルース・リー

さて今回47年の時を経て、ようやく念願かなって燃えよドラゴンを見ることができました。

映画が始まっていきなり驚いたのは、スパーリング(練習試合)のシーン。

ブルース・リーが着けていたのは何とオープンフィンガーグローブ!

えええええええええーーーー

しかもシューティングシューズ(すね当て)らしきものまで着けてる。

これって80年代半ばUWFが発祥じゃなかったのか!?

てっきり佐山聡(初代タイガーマスク)が考案したもんだと思っていたよ。

さらにこのスパーリングでは相手をキックから投げで倒し、最後はアームロックでギブアップ!?

カンフーどこいった?

これって今の総合格闘技の基本形ですやん。

まさかブルース・リーが元祖だったとは思わなかった。

ブルース・リーが後の格闘技漫画(北斗の拳とかキン肉マンとか)やゲームに大きな影響を与えたのは知っていたけど、リアル格闘技でもここまで大きな存在だったとは!

プロレスファンのワイ、驚きです。

目からウロコです。

実際見てみないとわからんもんだ。

Don't think! Feel(考えるな、感じろーーーーーー)

さらにこの後で弟子相手(まだ少年)に軽く稽古をつけるシーン。

映画が始まってまだ10分ぐらい。

ここであの超有名なセリフが出てくる。

Don't think ! Feeeeeel !!!!(考えるなぁー、感じろーーーー!)

いや、こんな大袈裟な言い方じゃないなあ。

かぁ〜るく

Don't think , Feel .(いちいち考えんなよ、おい)

ぐらい。

感嘆符も無し。

えええええええええーーーーーー(2回目)

これってスターウォーズのクライマックス「Use the Force, Luke !(“理力”を信じろぉーーお前なら出来るーーっ!)」みたいなセリフじゃなかったのか。

きっとブルースリーがラスボスとの戦いで窮地に陥った時、自分に言い聞かせるように

「Don't think , feel ! (考えるな、感じろオレ!)」

って言うもんだと思ってたよ。

思っていたのと違いすぎて拍子抜けした💦

思っていた映画と全然違った

ブルース・リーといえばヌンチャク!

なのでずっとヌンチャクを必殺技にしていたイメージだけど、実は劇中でブルース・リーはヌンチャクを持ってなかった!

ブルース・リーはほとんどが素手で戦ってました。

この宣材写真のヌンチャクは戦闘中に敵から奪ったものを

「オレはヌンチャクも使えるんだぜ」

的な、器用さアピールをしたものでした。

はあ〜ホント見てみないとわからんもんですね。

燃えよドラゴンはブルース・リー最後の映画だった

そして映画を見て帰宅後、調べてみてまたまた驚いたことがあります。

47年前、燃えよドラゴンがブームになった後、ブルース・リーの主演映画が次々上映されました。

ドラゴン危機一髪、ドラゴン怒りの鉄拳、ドラゴンへの道など。

ブームに乗って二匹目のドジョウを取りに行ったのかと思っていたら、実は燃えよドラゴンがブルース・リー最後の主演映画で、日本でブームになったころにはすでにこの世の人ではなくなってました。

そしてそれまでに撮った映画を遡るようにドラゴン危機一髪、ドラゴン怒りの鉄拳、ドラゴンへの道と公開されていったようです。

ブルース・リー主演映画の順番

  1. ドラゴン危機一発(ロー・ウェイ監督)1971年制作
  2. ドラゴン怒りの鉄拳(ロー・ウェイ監督)1972年制作
  3. ドラゴンへの道(ブルース・リー初監督作品)1972年制作
  4. 燃えよドラゴン(日本公開の1973年12月22日にはすでに故人)1973年制作
  5. ブルース・リー死亡遊戯(リーの遺志を継いで代役で作られた。本人のシーンは10分程度)1978年制作

他にもドラゴンブーム、カンフーブームに乗っかって、片腕ドラゴンとか闘えドラゴンとか、ブルース・リーとは関係のないパチモン映画もたくさん作られましたね、そういえば。

子どもの頃どちらも「なんかちょっと違うぞ?」と思いながらテレビで見てましたわ

ちょっとどころか全然違うだろー、小学生のオレw

やっぱり本物はこっち。

それでは今日はこの辺で。マタンキ

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