みごろ!たべごろ!笑いごろ‼️で大ブームになった
司会はベンジャミン伊藤と小松の親分
ども。MK団2代目団長マタンキ角南です。
今からざっと45年前、電線音頭というなんともコミカルな踊りが日本中で流行りました。
当時、団長は12歳の小学6年生。
当然その頃に「チュチュンがチュン」なんて言って踊っていた……かというそうでもない。
人生で今までただの一度も電線音頭を踊ったことがないのです。
それを放送していた「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」という番組もちゃんと見たことがないのです。
なんとなくドリフの8時だよ全員集合みたいなノリのコント番組で、伊藤四郎と小松政夫とキャンディーズが出ていたらしい……
そして電線音頭の導入部分には、小松の親分が
「し〜らけ鳥、飛んでゆ〜く、南のそ〜らへ、みじめみじめ」
と歌うのです。
と、まあ見てないはずなのになぜか知ってるし覚えています。
まあそれぐらいブームになっていたのです。
で今回ちゃんとYouTubeで電線音頭を見ました。
ん、小梅太夫がいるな
と思ったら小松政夫か
喋り方がまるっきり小梅太夫やんw
これ小松与太八左衛門というキャラで、こちらが元ネタでした。
知らんかった〜
で、このあと電線音頭が始まるわけだけど
うわあああああ、伊藤四郎コタツの上に土足で上がってるよ
よくこれ当時クレーム来なかったな。
いや、来てたのかもしれないけど。
絶対子どもたち真似してコタツの上に上がっていただろ
今なら一発で番組打ち切りです
ほんと昭和ってすげえな。
人気番組で、いろんなゲストが出ていた
しかしブームで毎週いろんなゲストが出てきてはこの電線音頭を踊っていた。
そしてなんとこの日のゲストは月亭可朝!?
すげえええええ
この人なんか今だったら絶対テレビに出られない人ですよ(何をやったかはググって各自調べて)
この頃は少々悪いことしても謹慎1ヶ月ぐらいでその後は普通にテレビ出てたもんな。
昭和恐るべしですわ。
元ネタ元歌は桂三枝(現・桂文枝)の電線音頭
今回調べてみてわかったことは、この電線音頭、実はみごろ!たべごろ!笑いごろ!!が元祖ではなく、その前の前の前番組だったドカンと一発60分!が初出でした。
出演者は桂三枝(現・桂文枝)を中心に伊藤四郎、小松政夫の出ていた番組です。
電線音頭は「あんたがたどこさ」の替え歌として「桂三枝の電線音頭」としてレコード化もされていました。
まずは小松の親分が前口上をのべ、その後よく知られている電線音頭を歌って踊るのです。
あ、わかった!
みごろ!たべごろ!笑いごろ!!は見てなかったはずなのに、妙に電線音頭について詳しく覚えているのが謎だった。
このドカンと一発60分!を見ていてそちらで覚えていたんだ。
この元祖電線音頭、1番の歌詞はよく知られる後の電線音頭と同じものです。
そして元祖には2番以降の続きがあり少々(かなり)大人な下ネタになっています。
2番はホステスにお金を貢ぎまくったという歌詞。
3番は女子高生を視姦して「ボインボイン」。
4番はパパ活に援助しようとしたら自分の娘が出てきたというオチ。
今なら一発で番組打ち切りです
これをテレビのゴールデンで放送していたのですから昭和恐るべし。
この番組自体はそれほど長続きせず、電線音頭もそのまま埋もれていきかけたのですが、次の次の後番組のみごろ!たべごろ!笑いごろ!で復活するのです。
みごろ!たべごろ!笑いごろ!は子ども向け番組ということもあって1番だけを採用しました。
なにが面白い?おもしろさのツボは?
たしかに今見ると何が面白いのかわからん!
わからんけど日本中の子どもたちの笑いのツボを押したんだろう!
今で言う一発屋芸人のギャグと同じ!
海外ロケまでして、外国で伝染音頭踊ったりしてた。
つまりブームが去ると同時にこの番組も終了した。
8時だよ全員集合との違いは、全員集合はどんなに東村山音頭やヒゲダンスがブームになっても、あくまで番組の1コーナーとしか扱わなかった。
そしてブームが去る前、視聴者が飽きる一歩手前、「あれ?今週はやらないの?」ぐらいで切り上げていた。
長寿番組として今も語り継がれる全員集合との差はそこだった。
あとこの電線マン、デザインはあの石ノ森章太郎先生だそうです。
言われてみれば確かになんとなくそれっぽい。
それでは今日はこの辺で。マタンキ